大阪高等裁判所 昭和27年(う)1480号 判決 1953年1月17日
控訴人 被告人 李大池 弁護人 表権七 吉川幸三郎
京都地方検察庁検事 萩野章
検察官 井嶋磐根
主文
被告人の控訴はこれを棄却する。
原判決中被告人に無罪を言渡した部分を破棄する。
被告人を罰金三万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金三百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審における訴訟費用中証人木村良太郎同田中喜三郎同鉄野貞治に支給した分は被告人の負担とする。
理由
弁護人表権七の控訴趣意同吉川幸三郎の控訴趣意及び京都地方検察庁検事正代理検事北元正勝の控訴趣意はそれぞれ記録に綴つてある控訴趣意書記載のとおり又弁護人表権七の答弁は同答弁書記載のとおりであるからいずれもこれを引用する。弁護人表権七の論旨第一及び弁護人吉川幸三郎の論旨一、二について
しかし原判決の挙示する証拠によれば原判示第一の事実は認めることができる。即ち被告人が原判示の日時場所において神田正典に対し同人が岸喜三郎から買受けた家屋につき売買周旋料を支払えと要求し原判示のような暴言、態度によつて同人を畏怖させた上金一万円の交付を受けたことは原審第二回公判調書における証人神田正典の供述記載により明らかなところであり又右証人神田正典の供述記載及び同公判調書中証人岸さくの供述記載に徴するときは被告人は原判示の如く初め右神田正典から該家屋につき購入周旋方の依頼を受けたのであつたが家屋所有者岸喜三郎に面接して売買契約締結の交渉を進める機会が得られず徒らに日時を経過したため神田から右周旋依頼を取消されるに至つたものであり該家屋についてはその後更めて被告人と関係なく直接右岸及び神田の間に売買契約成立したものであることが明らかであるから被告人は右神田に対し該家屋に関する売買周旋料請求権を有しないこと自明の理というべく斯る場合に仲介業者が周旋料請求の権利ありと信ずべきいわれはない。
原審の事実認定は弁護人援用の証拠及び記録にあらわれた爾余の証拠並びに当審で新たに取調べた証拠によるも未だこれを左右するに足らず論旨はいずれも理由がない
弁護人表権七の論旨第二及び第三について
しかし原判示第二(一)(二)の各事実はそれぞれ原判決の挙示する証拠により十分これを認められるのであつて殊に原判示第二(一)については被告人が先ず荒木文子の胸倉をつかんで突いたものであること原審第四回公判調書中証人荒木文子の供述記載に徴し明らかであるから被告人の右所為につき正当防衛の成立する余地なきこと言を俟たざるべく弁護人援用の証拠及び記録中の爾余の証拠によるも原審の事実認定を覆えすことはできないから論旨はいずれも理由がない。
同第四及び弁護人吉川幸三郎の論旨三について
しかし記録を精査して本件犯罪の動機、態様、罪質、回数その他各般の情状を検討するときは原審の懲役一年の科刑を目して重きに過ぎ不当であるとは認められないので論旨はいずれも理由がない
よつて刑事訴訟法第三九六条に則り被告人の本件控訴はこれを棄却すべきものとする。
次に検事の控訴趣意について案ずるに被告人に対する自転車競技法違反の公訴事実は原審の取調べた証拠によつて後記のようにこれを認めることができる。そして該事実によれば被告人は固より自転車競走施行者となれない個人であつて勝者投票券を売出すことは許されない者であるに拘らず店舗を設け自己の営業として不特定多数人に対し勝者投票券の購入方委託を受ける名義の下に勝者投票券の額面金額に手数料名義の金員を加算した現金と引換に「会員申込書」なる投票番号を特記した証票を交付し右申込書に特定した勝者投票が的中した場合には自転車競走施行者が払戻すべき金員と同額の金員を前記会員申込書と引換に被告人から払戻すべきことを契約したものであつて被告人においてはたとえ委託にかかる投票券を現実に購入しなかつた場合でも投票券代金を返還するに及ばないと同時に的中投票券を表示した会員申込書の提示ある以上払戻金の支払を拒み得ざるべく現金の授受は右契約に基き専ら被告人対委託者の間において終始する関係が窺われるから被告人において全購入委託者の委託したとおりに勝者投票券を購入した事実が証明せられない限り実際的には勝者投票券と同様の作用をする会員申込書を発売したに外ならないものというべきである。而して本件において被告人が全購入委託者の委託したとおりに勝者投票券を購入した事実の証明はないのであるから被告人の後記判示行為は昭和二三年法律第二〇九号自転車競技法第一四条第一号後段に該当すること明かであつて原審が相手方となつた者の数及び相手方に交付した会員申込書の数を過少に認定し且つ単純な投票券購入の取次に止まるものとして被告人に無罪を言渡したのは事実を誤認しひいて法律の適用を過つた不法あるに帰し、論旨はいずれも理由があり原判決は破棄を免れない。よつて刑事訴訟法第三九七条第三八二条第三八〇条に則り原判決中被告人に無罪を言渡した部分を破棄しなお本件は当裁判所において直ちに判決することができる場合であるから同法第四〇〇条但書第四〇四条に依り更に自転車競技法違反被告事件について次のとおり判決する。
犯罪事実
被告人は自転車競走施行者でないのに競輪必勝の会という看板を掲げた営業所の本店を京都市中京区木屋町通三条下る材木町に又同支店を同市下京区松原通富小路西入る松原中之町に設け岩田才次外数名を使用し昭和二六年九月四日右本店及び支店において綾仁正一外二百数十名から同日施行された京都市主催宝ケ池競輪の勝者投票券合計約九〇〇枚の購入方委託を受け該勝者投票券が的中した場合には自転車競走施行者が的中者に払戻すべき金員と同額の金員を被告人から委託者に払戻すべきことを約束し払戻金引換の証として会員申込書と題する投票番号特記の証票合計約三百数十枚を投票券一枚につき一一〇円(投票券の額面金額に手数料として金一〇円を加算したもの)の割合による現金と引換に交付し以て勝者投票券発売類似の行為をしたものである。
証拠の標目
一、昭和二六年九月一四日附検事の面前における被告人の供述調書
一、検事の面前における岩田才次の供述調書
一、司法巡査作成に係る岩田才次の第二回供述調書
一、司法巡査の昭和二六年九月四日附作成に係る岸孝次郎の供述調書
一、司法巡査の昭和二六年九月四日附作成に係る李富根こと木村富根の供述調書及び同第二回供述調書
一、司法巡査作成に係る永田親義、折目清、樫木久子、座光寺重夫及び綾仁正一の各供述調書
一、証第五号(会員申込書控簿九冊)証第六号、証第七号乃至第一四号
法律に照すに被告人の右判示の所為は昭和二七年法律第二二〇号による改正前の自転車競技法第一四条第一号後段第七条に該当するので所定刑中罰金刑を選択し罰金等臨時措置法第二条を適用して被告人を罰金三万円に処し右罰金を完納することができない場合につき刑法第一八条に則り金三百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべきものとし原審における訴訟費用中主文第五項に記載した分は刑事訴訟法第一八一条第一項を適用し被告人をしてこれを負担させることゝする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 富田仲次郎 判事 棚木靱雄 判事 入江菊之助)
弁護人表権七の控訴趣意
第一、原審判決は其の罪となるべき事実の摘示の第一に於て、被告人が神田正典より家屋の買入方を依頼されたが、目的家屋の所有者岸喜三郎が相手にしないので仲介不調に終り、仲介料の請求権なきに不拘、仲介料三万二千五百円を払へ、払はねば頬けたが飛ぶぞ云々と脅迫した上、金一万円を交付せしめたと認定した事は、(一)岸喜三郎が相手にしない為め仲介料の支払ひを受ける権利なしと断じた点、(二)財物喝取の認識ありとした点、(三)被告人が脅迫の犯意ありとした点、(四)脅迫と金銭交付との間に因果関係ありとした点等に於て重大な事実の誤認を犯したか又は刑法第三十八条の法意を誤り適用したものである。以下其の理由を分説します。
一、先づ被告人が神田正典に対し仲介手数料を請求する権利ありやの点である。
凡そ不動産仲介業者の社会的使命は、不動産を購入又は借入れしようとする人達の為めに其の目的に合致しそうな、不動産にして売つたり、貸したりする意思の判明してゐるもの、即ち取引の種になりそうな物件を予め見付けて置いたり、或は之れから早く見付けてやつたりして取引の便宜を計るにある。又売り手や貸し手から頼まれた時には目的に合致しそうな買主や借主を予め見付けて置いたり之れから見付けたりして、売主や貸主に紹介する事であり、且之等の取引の成立を斡旋する事である。取引成立の斡旋を為して之れが最後の取引成立に立会う事自体が絶対唯一の使命ではなく、当事者同志が直接最後の取引成立の話合ひをしても、尚、其の取引の種を客に知らしめる事も重大な使命であり、客への貢献でなくてはならない。客も亦、其の目的に合致しそうな目的物件を自己一人で当てどもなく捜してゐても、いつその目的物件に出会ふ事が出来るかも判らない。而して仲介業者は常に同業者同志が連絡も取り合ひ、人手や通信機関を動員して目的物件たる種を見付ける為めに非常な努力と犠牲を払つてゐるものなのである。殊に今日の社会状勢では、家屋の売物、貸物の供給に対し、需要は幾倍とも知れない供給不足であつて、買主の目的に合いそうな取引の種を見付け知る事自体が最も肝要なのである。だから仲介業者は買手に物件の種を教へた以上、仮りに取引成立の斡旋途中から買手と売手とが直接交渉して取引を成立させた場合でも、自己の提供した種について取引の成立した以上は報酬を受ける事に同業者申合はせてゐるのである。種を提供しても取引が全然成立してゐなければ其の種を別の買手や借り手に廻してやる事も出来るが、成立した以上は業者は切角見付けた種を失う事になるから、たとへ最後の取引成立に業者が立会ひたると否とを問はず手数料を請求するのは当然である。又売主に対しては、適当な買主を紹介し其の「買主種」を知らしめる事が貢献であるから、買主に対する場合と同じく取引成立に仲介業者が立会ひたると否とに不拘、仲介料請求権を行使するのは当然である。殊に今日は客の方がずるく種を知つた上は仲介人をスツポ抜かしてその手数料支払ひを免れようとして、わざと一度断つて置いて後で秘かに売主と買主と直接取引するものが多い、之れを物件窃盗と云う名がある位である。
以上の次第で「物件種」や取引の「相手種」を他方に知らしめる仲介業者の社会的使命や貢献があり、取引当事者に便宜を与へた事になるのであるから之れに対して取引当事者が報酬を払はねばならないのは当然であるから商法上は商行為として取引を斡旋した時は報酬の約束の有無に不拘報酬請求権利ありと規定された所以である。以上の実質的理由は証人森田寅雄の証言により明白である。更に本年六月法律第百七十六条宅地建物取引業法が制定せられ近く政令により右の様な場合も手数料を取り得ることが法文化されんとしてゐる位である。
飜つて本件の場合を見ると神田正典が昭和二十五年十月十七日頃弁乙第一号及同第二号証の通り同人が家屋買受けについて、仲介業者たる被告人に仲介を頼んだ事、そして其の数日後に手附金二十万円を持つて売主である物件所有者岸喜三郎方に行つたが不在であり戻つて来た事、恰度其の頃神田正典が田中孝之助と云う人に頼んで三輪某を紹介され(此の点神田の警察官に対する供述調書に明白に述べられており神田から直接三輪に頼んだものではない)同人より岸喜三郎を紹介され、岸と直接交渉して目的物件たる家屋を岸より神田に買う取引が成立した事は争ひのないところである。而して岸喜三郎の警察官に対する供述調書によると、同人が本件目的物件たる家屋を売りたいと思つてゐる時、どこから聞いて来たのか被告人が其の家屋を売らせて呉れと云うて来たので貸家三軒全部を合計百万円で売つて貰つてもよいと云つたので、即ち被告人の斡旋申入れを承諾した、其の後、被告人から客が出来たので三軒の内の一軒を先づ六十五万円に売る事にしたので二十万円の手附金を持つて来ますからと岸の承諾を求めて来た「ところが何日経つても手附金を持つて来ず話のしめくゝりがつかなかつた」其の客と云うのは医者だと聞いてゐた。それから日を経て十一月上旬に三輪と云う知人が来て、神田正典に此の家を売つて呉れと云うて来たので被告人の話していた買手の人と同一人であることが判つた。而しその時神田は被告人の方の話を断つたと云ひ、又直接取引しても何んともないと云つた、自分は被告人の方と話がもつれて来ないかと尋ねたところ神田はそんな事はない、自分が責任を持つと云つたので、安心して直接取引をした、と証言して居ります、茲に留意すべきは、岸喜三郎は被告人の仲介を相手にしなかつたのではない、手附金を持つて来るのが遅くて話が渉らない内に神田から直接取引を申込んで来たものである。原審判決は岸が被告人の仲介を相手にしなかつたと云う認定をしてゐるが明かに間違である、又手附金が遅かつたのではなく十月二十日前後に手附金を持つてゐる神田を伴つて行つたが岸が不在で会えず、其の後何度も行つたが会えず日が延びたことは被告人の警察官及び検事に対する供述調書及神田正典の証言により明白である。殊に岸さくの証言によると岸喜三郎は殆んど福島県の田舎の方へ行つてゐる事が多く、一度行つたら十日も十五日も帰つて来ないので、其の頃何度も被告人が来て行つたが岸喜三郎と会えなかつた、或る時主人が田舎から戻つて居る時、被告人が何度も来たと云うたらあれは断つて置かねばならんなあと云うてゐたと述べてゐる。断らねばならんなあと云うのは神田と直接取引が出来た後か先か不明である。だから岸は自分の不在のために会えなかつたもので被告人の方が遅れてゐるのではない事を十分知つてゐるのである。手附金を仲々持つて来なかつたと云う岸喜三郎の証言は偽証であることが明白である、原因は岸自身にある。神田正典も被告人の立場を誤解してゐた様に云うてゐるが誤解したと云うよりも寧ろ故意に仲介手数料を免れようと計つた様にも思はれるが、其の真相は兎も角少々遅れてゐる間に神田正典が其の家の事で田中孝之助と云うテキ屋の大親分に話したところ、同人がそれなら三輪と岸が知り合だから三輪の紹介で直接取引したらよいと云うので紹介を受けたので神田は被告人に、あの家はケチが附いたから止めると云つて断つて置いて岸に直接交渉するに至つたものであることは神田正典の弁護人の問に対する証言田中孝之助の証言及被告人の供述によつても明白である。神田は断つた理由をボヤしてゐる、又三輪の紹介を偽られる事になる前に断つた様にも証言してゐるが、此の順序の点については神田は態よく偽証してゐるのである。然し被告人が岸と神田との家屋売渡契約証を作成し神田の捺印を受けて岸の捺印を受ければ完成する程度の書類を作成したのは、十月十七日であり二、三日後手附金二十万円を作り直ちに岸方へ被告人と神田とが同道したのは十月二十日前後であり、それから岸も手附金の来るのが遅い遅いと云ひ神田も二週間も待つのだから十一月上旬になる、そして十月末頃か十一月上旬に神田は被告人の方へ断はり、同じ頃岸に直接面接して取引してゐるので、寧ろ岸喜三郎に直接取引の蔓手が出来たので、被告人の方へ断つて、其の仲介料を免れて被告人をスツポ抜かして、取引しようとした事を疑うに十分である、殊に原審に於て吉川弁護人の問に対しては、問 それで十日後(「どれ程後」の聞き損らである)に断つたのですか、 答 一目社の方からあの家は岸があつて呉れないので話が進まない、他にもよい家があるがどうかと云うて来た際、断つた云々 となつて居り、相当延引してから断つた事が明かである。神田は医者で世間知らずだから、或はその様にして仲介料を免れても悪い事ではないと思つてゐたのかも知れない。而し注目すべきは、岸喜三郎は特に神田に対して、直接取引をして被告人方との間の話が、もつれて来ませんかと念を押してゐる一事である、岸は実業界人丈けに、被告人の仲介料をスツポ抜かしては被告人の方から文句を云はれそうだ、云はれても仕方がない卑怯なやり方だ、と云う事を自覚してゐた事を立証してゐる。神田はそれでも自分が責任を持つと答へてゐる所に彼の世間知らずか又は横着さかが表はれてゐるし又、テキ屋の大親分(京都では京極での親分として田中孝之助は有名人である)が後押ししてゐるからと云う横着な自信が動いてゐるのである事を証明して余りある。だからこそ、被告人の供述調書記載の通り被告人が神田正典に仲介料請求に行つた時、被告人の目前で田中孝之助に電話して相談し、そんな仲介料を払はなくてもよいと云はれたから、仲介料は払はんと答へたと云う被告人の供述に嘘のない事が信用されるのである、神田自身も原審に於て弁護人の反対訊問に対して自分は田中孝之助に対し被告人の目前で電話して払はんでもよいと云はれた事を認めてゐる位である。殊に被告人の供述調書によると、神田は被告人に対して、あの家はケチがついたから断はる、他へ世話してやつてくれ、代り家を捜して呉れと云つて断つた事である、神田は岸喜三郎の家を非常に好いてゐた事は、神田や岸の上述証言によつても直接取引に行つた事、其の時此の家を非常に好きだと云つた事が明白であり家にケチが付いたどころではなかつた、全く反対の事を云うて断るところなどは其の心中を察するに余りある、即ち田中孝之助と相談した結果、直接取引すれば仲介料を払はずに済むと思ひ、被告人をして諦めさすのに用いた言葉であり嘘である事が判る、神田の気持は誠にいやしい物がある。
以上により、不幸にして手附金持参後二週間程の問、何回となく被告人は岸方に通ひ、神田から急がせられていたのに岸不在で会えない内に神田正典の気持の変化が生じ、取引は一時徒労に帰したのである。被告人が教へられない程、岸喜三郎に足を運ばせた事は証人上条隆子、川勝富美子の証言及和多田幸子の証言により証明十分である。又神田自身の原審証言では岸の家を見せて貰ふ前に二軒も被告人方の使用人と一緒に家を見に行つたが気に入らず最後に岸の家を見に行つたと云ひどれ丈け被告人が苦労したか、それをスツポ抜かして手数料を全然免れる事は、如何に道義低下した今日でも非儀されるべき事であるか神田自身反省すべきである。以上の様な次第で原審が被告人は神田より仲介料を貰ふ権利がなくなつて居たのに不拘と認定した事は余りに理不尽な認定と云うか、余りにも証拠を無視し信義則を無視した認定である。重大な事実誤認を犯してゐるものである。
二、万々一民事上仲介料を取る権利がないと云う判断になつたとしても、被告人としては固く権利ありと確信して行動してゐるのである事は証拠上十分に認め得られる所である。果して然らば被告人は財物の不法喝取の意思はない唯残る所は被告人の仲介料支払請求の態度が程度を起したかどうかと云う問題でそれにより単に脅迫罪が成立するか否かである。
然るに原審が仲介料請求の権利なしと断定し其の前提の下に恐喝罪の認定をしたのは重大な事実の誤認か、恐喝罪の規定の解釈を過つたかの違法を犯したものである事が明白である。少なくとも原審が今少し真剣に証拠を検討し審理を尽すべきであつたので、若し貴庁に於て記録自体から直ちに原審判決を破毀出来ないならば少くとも審理を再開するか又は原審に差戻すべきものであると信じます。
三、次に被告人は神田正典を真に脅迫したものではなく唯売言葉に買言葉式の喧嘩口論的に脅迫言辞を弄したに過ぎないので之れは脅迫行為だと云う認識が殆んどないのに不拘、脅迫の犯意あるものと判断した点については原審は審理不尽の結果重大な事実誤認を犯し且刑法第三十八条の適用を誤つたものである。
(一)証人田中孝之介の証言によると、同人は京都の新京極通りと云う観楽街に於て氷屋とパチンコ等の遊技場を営む親分の一人である、神田正典は医師であるが同人が京都府医大学生当時田中孝之介は学生に相撲のコーチをした事があり神田は其の教へ子である。(即ち田中は青壮年時代相撲取の先生もした程の相撲取りであり、当年五十歳だが若々しく、頑健な男である。)昭和二十七年二月十五日頃神田より電話があり、家を買うについて世話してもらつた人がきつい事を言つて来るのでどうしたらよいだらうかと云つて来たから、私が誰やと問ふたら下京区松原通富小路西入るの一目社、と云うので、私はその様な事は私がどうこうするよりもあんたから警察へ云つた方がよいやないかと答へた、特に自分から五条署へ知らせてやつたと云う事はないと云うのである。而して神田正典の原審証言では、吉川弁護人の問に対して二月十六日頃に被告人等が来た時、京極の田中孝之介と云う人に相談の為めに電話をかけたところ、同人は、あまりうるさかつたら五条警察署へ頼んだらどうかと云はれた、其の電話は被告人も聞いて居た、尚田中は、仲介料は払ふ必要はないと云へと云つた。旨述べている、右の事は神田正典は警察官の取調べの時も検事の取調の時も又、原審法廷でも、検察官の訊問の時には全然田中孝之介の介在については述べてゐなかつた。唯法廷で弁護人から突込されてから、漸く渋々答へた事なのである。被告人が極力此の点弁解したのに何故警察官は此の田中孝之介の介在について調べなかつたのか、此の点について何故警察官も検事も神田に突込んで弁明を求めなかつたが、茲に警察の立場の不公明性を疑ふ一端があり、神田もボス的存在である親分田中孝之介から、そんなものを払はんでもよい、五条署へ頼んだらよいと、元気をつけられ、其の威に頼ろうとし、田中を介して五条警察署へ被告人の逮捕方を頼んだ事、殊に神田は親分田中孝之介に電話したら、払はんでもよいと云ふてると云つて、被告人に威圧的心理的威迫をしようと考へ、被告人の面前で電話をした事、等の心事を窺ふに十分である。かゝる心事を明かにすれば事件が弱くなるので警察は出来る丈け弱くなる事情を表面に表はさない様にしようと企てた事、殊に田中孝之介から頼まれた事件である事を表はすまいとして敢て田中孝之介の取調べを回避した事等が推察出来るのである。殊に被告人の用ひたと云ふ脅迫的言辞は神田が、わざと被告人の面前で被告人を威圧すべく、親分田中に電話したら、そんなものは五条署の刑事に云うたらよい、そしたら払はんでもよいと云うたので、被告人はそんな親分など恐れると思ふのか、当方の会社にも四人も親分が専務をしてゐたのだ、民事問題で刑事等を話に入れるべき筋合と違う、そんな事によつて仲介料を免れ様と云うのは怪しからん、そんな気なら、貴男は全く泥棒医者だ、そんな手を使ふたら泥棒医者の貼紙でもするぞどんな事をしても仲介料を取つて見せてやる、そんな民事問題で刑事が出て牽制するのは怪しからん、自分は日本政府でも恐れるものではない等と怒つて叫んだもので、あると云う事を故意に隠蔽して、唯一方的に被告人が神田より金員を喝取せんとして脅迫したかの如く、証拠を偽装し強いて被告人を罪にせんとした警察の意図が窺はれるのであります。従つて此の点についての被告人の警察官及検事に対する供述調書記載の弁明が真実である事を立証するに足るものである。
(二)要するに被告人の言辞は神田の威圧的方法に対し応酬として虚勢を誇示したに過ぎない。喧嘩口論中一方がぶん殴つてやるぞと云ひ、他方は応酬して、何に、やるならやつて見ろ、皆叩つ殺してしまつてやる等と虚勢を誇示し合ふ事は、互ひに相手に反ぱつ的敵慨心を起させるのみで相手方に脅迫感を与へてゐないか、或は其の言辞を用ひた者が相手方の言辞に対してそんな事位に恐れると思ふのか、お前がやるなら俺もこうしてやると云う意味で相手方の出方に対抗して見せてやるぞと云う事であつて、一方的に脅迫するのだと云ふ認識を有しないものと見るのが正当であつて、正に刑法第三十八条に所謂罪を犯す意思なき行為と見るのが正しいのである。而も原審が右規定を適用しなかつたのは違法である。
(三)而も被告人は上記の如く仲介料を踏み倒そうとする神田正典の考へ方は全く不正であると確信し、同人が怪しからんと思ひ込んでゐるのに、同人が逆に親分田中孝之介や警察署の名前を借りて被告人を威圧せんとしたので非常に憤慨して呼んだもので、かゝる場合には被告人の心情として、少々過激な言葉を用ひても、直ちに脅迫の意思ありとすべきではなく、寧ろ正しい権利の金の取立の為めだと思ふてゐる場合が多いので、罪を犯す意思なき行為と見るのが正当である。
(四)神田正典は被告人に対し金一万円を交付した時は上記の如く前日互に虚勢を誇示し合つた時とは全く態度を変へ茶菓を出し、本日一万円丈けしかないから之れ丈けでも持つて行つて呉れ、これで円満に収めて貰いたい旨を以つて一万円を出したものであると、被告人弁明して居ることは警察官に対する供述調書で明白である。態度を変へたという点は、神田は否定している。それは偽証である。被告人がそれ丈け位で下ると思うか等と云つて脅迫したと云う証拠はない。神田は前日と同じ事を云ふて脅迫したと云うが、それは嘘である。被告人は一万円を受取り名剌で領収書を書つて三万二千五百円の内入と記入して神田正典に渡しているのである。これは一万円を授受した時に和やかな気分になつてゐた事を窺ふに足る事情である神田正典は既に大親分に前月から頼んであり、五条署が来て呉れることになつてゐる、最早や被告人等を恐れる必要はなかつたのである、寧しろ脅迫丈けでは事件は弱い一万円でも交付させて恐喝になる様にして殊に領収書を取り判然証拠を残すこと、宇野吉祐を立会はせて警察に電話させること、そして警察に逮捕させる事を打ち合せてゐたものであつて、豪も被告人を脅れる必要のない様に被告人を罪に落せる様に仕組んであつたものである事を、疑ふに足るものである。若し然らずとするならば何故警察は被告人が神田の供述の矛盾点につき論じてゐるのに不拘、神田について突込んで聞かないようにしたのか、何故後記の荒木文子に対する暴行事件の如き事件直後取調べをした警察官村上清孝が問題にしなかつた様な古い事件や中根卯三郎に対する雇主と主人間の酒席上の喧嘩の様な事件を迄もほじり出して来たのか、神田正典及岸喜三郎の如き、何故所々の点につき偽証させたまゝにして置いたのか 眼光紙背に徴して見ることは容易である。果して然らば、神田は脅迫されていなかつたし、又、被告人の言辞と、神田が一万円交付したこととは因果関係はなかつたと見るのが正当なるに不拘脅迫して、因て神田をして一万円交付せしめたと認定したのは重大な事実誤認である。
(五)要するに神田正典は劫慾のために目がくらんで自己の支払義務ある仲介料を払ふまいと考へた為め、先づ被告人を無用に怒らしめた、そして被告人丈けが悪い様な口振りで田中孝之介や五条警察署に相談したので、田中孝之介も警察も最後の取引成立に被告人が立会はなかつた一事を持つて民事上被告人に仲介料請求権なきものと考へたので、必要以上に被告人を悪る者に考へ其の結果無用の義憤を被告人に感じさせ何んとかして被告人を罪に落そうと考へて事件の真相を、もぢつて考へ、其の先入観を以つて捜査したものであることを疑うに足るものである。神田が自己の非を棚に上げて、無用に被告人を誣告したものである。此のまゝ本件判決を確定させる事は結果に於て甚しく社会正義に反するものである。弁護人等は昭和二十七年九月十七日京都地方裁判所第二民事部に対し、被告人から神田正典宛の仲介料支払請求の民部訴訟を提起した、此の事件の民事判決の帰結如何は本件刑事々件の判決に及ぼす影響は少なくない。又、民事判決と刑事判決とは判断の矛盾を起すことは判決の威厳を損ずる虞れもある従つて民事判決の帰結を待つて本件刑事々件の公判を開くか、又は貴庁に於て慎重に審理を再開し、上述神田正典、岸喜三郎等の偽証の点や供述の矛盾の点に付き事実調べをするか、又は原審に差し戻し再審を為さしむるを相当と信じます。
第二、原審判決が被告人は荒木文子に対し暴行を加へたとの認定をした点については重大な事実誤認を疑ふに足る事由あるものと信じます。
即ち原判決摘示によれば、犯罪時は昭和廿五年九月頃である。警察の取調べは約一ケ年後の昭和廿六年七月九日である、然も荒木は之れを告訴したものではない、而も警察も検事も当時被告人と荒木文子との喧嘩現場に立会ひ或は取調べを為した新田巡査や村上清孝巡査が何故事件にしなかつたかも取調べず、警察の方から何んとか事件にしてやろうと考へ、上述恐喝事件が弱くなつても、それの支へ棒になるものがないかと考へ、殆んど処罰価値のない一年も前の事件ほじり出したものである事は一件記録を見ても捜査の経過に鑑みても明白であり、全く、先入観から、或は被告人を何んとか処罰しようとの目的から、出発した捜査であり、動機に於て既に潔くない事件である事は明白である、然も原審判決は被告人が一方的に或は被告人から先に荒木に対し其の胸を突く様な暴行を加へた如く単純に認定してゐるが、原審法廷に於ける荒木文子の供述によると検察官の問に対しては自分は前田美恵子の家に間借りし後では弟斎五沢孝之を其の借間に住ませてゐた、前田の情夫西口栄助と被告人とが貸間を明渡せと要求談判に来た、そして二、三、言訳し合つている中に、私もむかつとして、五年間も居たのに何もして貰はないで追出される様な事はしてゐない、と云う内に「私も手出しをしたかどうか分らんが」掴み合ひになつてしまつた、其の争は巡査が来る前だつたと思うが、私も殴られては損だと思ひ、女の子に交番へ行つて貰つたと述べ、更に自分は「被告人に殴られてはいないと思ふ」が胸倉を掴まえられたので私もカツとなつて被告人の顔を引ツカイタが何かしたが直ぐ皆に取押へられた、「私はこれ位では何とも思つていないので処罰して欲しいとは思いません」と述べて居ります。
以上により、要するに、(一)荒木自身も手出しをしたかどうか判らんが掴み合ひになつた、即ち原因はどちらの手出しが先か判らんと云う事。(二)掴み合ひの前に交番所へ使ひを走らせ救ひを求めさせたので巡査が来るよりも前に掴み合ひになつてしまつたが、掴み合ひを始めた直後に警察官が来ていたかどうかは判然しない。(三)自分は胸倉を掴まれたので相手の顔を引ツカイタと云う事である。而しては村上清孝巡査の証言によると、女の子の雇人が交番へ云ふて来たので新田巡査及壇巡査を現場へ走らせた、やがて被告人を交番へ連れて来た、被告人はネクタイは破れ、ネクタイピンは折れ指を噛まれたと云つて指から血が出てゐた、自分は小さい、いざこざの事件であり、両方共手出しをして居り、取上げるべき程の事と思はなかつたので当時取上げなかつたし、まだ被告人に対し、相手が女だから、癪にさわつても堪えてやつてくれと慰めた位である旨述べてゐる、然し弁乙第三号の折損したネクタイピンが証拠に出ている。被告人の検事に対する第三回供述調書によると荒木は巡査の前で私のネクタイを掴んで私は被害を受けた、と述べ、又警察官に対する供述調書では、荒木が後から廻はつてネクタイを引張つた上、撲つて来たので私は巡査の前で暴行するのかと云つてゐると巡査が仲裁したと述べて居ります。以上を綜合すると、(一)荒木は気付かなかつたかも知れんが掴み合ひの時既に新田巡査外二名が来て仲裁してゐた。(二)従つて二名の巡査は状況を現認してゐたのであるが巡査から見ても被告人を犯人とするには足りなかつたらしく、同巡査等も問題とせず村上巡査に報告しても村上巡査も処罰に値しない様に聞いてゐた。(三)荒木は胸倉を掴まれた丈けであつたが、被告人はネクタイを破られ、ピンは折れ指迄かまれたので被告人の被害の方が大きい、どちらが先に手を出したかも証明がない。
と云う事になりますので、被害者荒木も被告人に傷害を与へ、双方の過失を相殺するとすれば、寧ろ被告人の方が被害が大きいのである。而もどちらの行為が先か、若しネクタイを引きさかれ、指を噛まれて荒木の胸を突いたとすれば、程度から云つても、正に正当防衛である、現認した巡査が仲裁をする位であるから、寧ろ被告人よりは荒木の手出しが先きではなかつたかを疑うべき理由が十分あり、遂に被告人が先に手を出したとか胸を突く位は手出しの順序により正当防衛と見るべき事情がなかつたとは云へない状態であるから結局被告人については犯罪証明は不十分であると見るのが正しい、況んや疑はしきは罰すべきではない。然るに原審が敢へて被告人に有罪の判決をした事は、警察官や検事の先入観や取調べ不十分による判断を裁判官迄が踏襲した事になり、重大な事実誤認の違法を犯しているものである。
第三原審判決が中根卯三郎に対して手拳で同人の顔を殴り又其の腰部を蹴つたと認定してゐるが、原判決挙示の証拠から見れば或はその様な行為があつたことを認め得られない事はないかも知れない、而し被害者中根卯三郎の証言によると、それは冗談みたいな事で頭をピシヤリと叩かれ、足で少し蹴られた、全く酒の上の事であり、冗談にやられたものです。と述べて居り、証人川瀬富美子の供述によると、私達が帰つてから、いざこざがあつた様だがその翌朝中根は「社長は酔つていた」とか何んとか云つて普通に話をしていましたと述べて居り別段中根が翌日迄憤激を残してゐなかつた様に云ふてゐる。証人米田晃三は、其の酒席で被告人が中根卯三郎を殴つた事は判然見なかつたと述べて居り、大いした大騒ぎもなかつた事を推知し得るのである。以上を綜合すると結局被告人は或は中根が何か失礼な事を云うたので之れをたしなめる程度の事はした様でもあるが、遺恨に思はれる様な真剣さで暴行したと云う事実はない、少くとも証明不十分である。勿論処罰価値もない。被告人自身も酒の上の事で忘れて終つて居り犯行を否認してゐるが、それ丈け記憶に残らない程度の事であつたので被告人が犯意を以て暴行をしたと見ることは疑はしいので原審判決は重大事実誤認を犯してゐるものと云ふの外はない、大体警察が昭和廿五年十一月頃の此の位の犯行を六、七ケ月も経過してから何故捜査しなければならなかつたか、而も主人と雇人との間の事をである。捜査動機も汚い、上記荒木に対する暴行と共に寧ろ上記恐喝事件の点に有罪の自信が持てないので、支へ棒的に此のややこしい暴行を捜査し記訴されたものと見られても致し方のない事件である。
第四以上第一乃至第三の論点につき、
万々一不幸にして貴裁判官と本弁護人との見解の相違により被告人に有罪の判決を与へられる事があるとしましても、少くとも恐喝罪の点については被告人は仲介料請求権の存在を確信し相手方神田等の態度は、不信なりと怒つてゐたものであり、怒るに十分な理由があり、少くとも強談する自分が正しいと信じて居た、従つて権利行使の行為の如く解してゐた位で主観的には悪い事をしたとの自覚性はなく、少くとも甚だしく犯意は薄いと云はねばならない、従つて改悛の情なきために故意に否認していると見るべきではなく、被告人が真剣に犯行を否認する程、犯意の薄い事件であると云う事を立証してゐるものであると解すべきものである。暴行の点についても同様である。否認してゐるからとの理由で原審判決が被告人に実刑を科したのは何んと云つても甚しい量刑不当のそしりを免れないものである。
弁護人吉川幸三郎の控訴趣意
一、原審判決は「……被告人の仲介では所有者の岸喜三郎が相手にしないため右仲介は不調に終りもはや仲介料を請求する権利がないに拘らず……」という事実を認定して、恐喝取財の犯罪の成立を認めている。しかし右事実認定は明白な誤認である。即ち
(1) 原判決は唯莫然と「家屋所有者である岸喜三郎が被告人を相手にしない」というていて、岸が果して「一応売却方仲介を被告人に委頼したことはあるが、その右相手にしないようになつた」のか或は最初から「岸は売却仲介の委頼となしたこともなく、初めから相手にしなかつた」のかその判示だけでは判然としない。万一後者でありとすればその事実認定は経験則に反し且つ我々の常識に反するものである。即ち原審の審理により、「中根卯三郎及川勝富子にともなわれて、神田正典が、岸所有の家屋を見に行つたこと、しかも神田が外部のみならず、その内部迄充分点検して気に入つたこと」のみは少くとも充分認定される(神田、中根、川勝の証言参照)。所有者から売却の委頼もなく全然関係なしとするなれば如何して被告人が神田に外部のみならず内部まで点検さすことが出来るであらうか、殊に当時問題の家屋には岸の息子が居住していたのである。所有者である岸及び居住者の諒解なしに家の内部にまで這入り込み点検することが出来るであらうか、若しそれをしても可能なりとすればそれは没常識の極なりといわねばならない。原判決も前述前者の認定であり、岸より一応売却仲介の依頼があつたものと認定しているものと考える。被告人は岸よりその所有にかゝる本件家屋とこれに南隣する二戸の借家とを合計百万円(本件家屋は翌年二月限り明け渡すことを条件として金六拾万円、その余の二戸は明け渡の条件なしで一戸宛弐拾万円)の条件で売却方の委頼をうけたものである。
(2) 一応売却の委頼をした以上たとい「岸喜三郎が被告人を相手にしない為め仲介が不調に終つた」として果してその場合原判決認定のように仲介手数料請求権が簡単に消滅するものであらうか、売方、買方、当時者双方間に後日直接売買契約が成立しなかつた場合は勿論問題はないが、本件の如く被告の仲介による契約は不成立になつたが、その直後直接交渉による売買契約が成立した場合、果して原判決認定のように、かく簡単に手数料請求権が消滅するものと解してよいであらうか、万一斯様なことが許されるならば不動産仲介業という職業はなりたゝない。仲介業者が売主、買主双方から委頼をうけ、苦心して適当な相手方を探し出しこれが業者にとつて最も労を費し又手腕の要するところである)その上双方の条件を近接せしめたところで双方又はその一方から故意に不調に終らしめ、その上直接取引をされた場合、手数料請求権がなくなるとすれば業者の営業は立ち行かない。これが即ち古くより「かゝる場合には必ず手数料は支払はねばならず委頼者も又常にこれに従う」という慣習が存する所以である即ち本件の如く、「仲介が不調になりその直後当事者間に直接契約が成立した場合」においては、その不調となつた原因が奈辺に存するや、又その原因が如何なる目的、事情により生じたものなりやを確めた上仲介手数料請求権の存否を定めなければならない。即ち本件について言えば「岸が被告を相手にしない」ことが不調の原因とすれば「その相手にしない」ことが何故相手にしないのか、相手にしない目的は奈辺に存するか、これを明確にしなければ手数料請求権の存否を決定することは出来ない。
原審判決はかゝる明白な事理をわきまえず漫然と「被告人の仲介では喜三郎が相手にしないため仲介は不調に終り手数料請求権がない」ものと速断したのは審理をつくさざるか或は重大な事実を誤認したものであり破毀を免れないものである。殊に原審記録に徴すれば岸喜三郎並神田正典双方に重大なる作意が認められるべき証拠充分なるにおいておやである。
二、原判決は「仲介手数料金参万弐千五百円を支払え、支払はなければ先生の頬が飛ぶ……」と怒鳴つて金員を要求し……神田を畏怖せしめて壱万円を喝取した事実を認定して有罪の判決を言い渡した。しかしこの事実認定も又経験則乃至常識に反する認定である。即ち、惟うに喝取罪が成立する為めには、(1) 第三者を畏怖せしめること、(2) 第三者がその畏怖にもとづいて金員其他の財産上の利益を供与することが必要なことは論を俟たない。しかもその畏怖たるや第三者の自由意思を抑圧せしめるに足ることを要すること明白である。
本件において被告人が多少乱暴な言辞を弄したことについては弁護人も争はない。しかしその言辞によつて神田正典がその自由を抑圧せられて金壱万円を供与したものであらうか。(1) 、被告人は神田方を訪れたのは二回である、そして第二回目に金壱万円也を供与したのである。被告人は第一回目の訪問において乱暴な言辞を弄している。そして手数料支払について考慮と翌日の会見とを約束している(神田証言)。即ち、その内には一日の予備が存在する。若し神田にして真に畏怖していたものとすればその間適当な救済を求める手段は充分存した筈である。にも拘らず何等これを防禦する手段も構せず(神田は京都府立大学を卒業した智識人であつてこの理が判らぬ者では決してない)その翌日約に従つて来訪した被告人に漫然金壱万也を供与している。(2) 又第二回目の訪問に際しても神田は、被告人等に茶菓を供し賓客の礼を以つてしている。又壱万円の供与に際してはその受取書を被告人に要求し且これを受け取つている。
斯様な行動が果して畏怖により自由意思を抑圧された行動と見ることが出来るであらうか、我々の常識はこれを否定せざるを得ない。原判決がこれを無視したのは重大な事実の誤認といわねばならない。当然破毀さるべきものと信ずる。
三、原審判決は被告人に対し懲役一年の実刑を科した。しかしそれは百歩を譲り原判決に前述のような事実誤認がないとしても重きに過ぎ当然破毀さるべきである。その理由左の如し。(1) 、本件には何等実害がない。即ち判示第一の事実についても壱万円は押収されやがて神田正典に帰えるべき運命にある。又第二の事実についても然り、殊に荒木文子の関係においてはむしろ被告人が被害者である。顔面をかきむしられネクタイピンを損傷せられている。(2) 、人に仲介を委頼しておき、且その仲介により自分の希望の家を発見し置きながら相手方岸と同調して売買契約成立を間際にその仲介を不調にならしめその直後直接契約をなし以つて仲介料の免脱を計らんとするが如き、これが果して紳士の行動であらうか、本件事案において被告人に仮に手数料請求権がなかつたとしてもこれありと信じこれを要求し且つその方法が多少乱暴であつたとて果してこれが一年の実刑を以つて非難するに価する非行であらうか。又荒木の如きは自分の賃借せる家屋に無断でその義弟と称する男を入らしめ(然も自分はその家に居住していない)被告人の明け渡し要求に対し暴力を以つて対抗したものである。しかもこれに関する被告人の暴行は一件記録に明白な如く、「どちらが先に手を出したか判らぬ掴み合い」であつたのであつて暴行はお互である、然るに荒木は独り被害者として涼しい顔でいるに拘らず被告人はこれが為め起訴公判に付され懲役刑を科せられている。公平を欠くる恨なきを得ない。(3) 又中根に対する暴行の事実も双方酒席における口論の上の出来事である。しかもその暴行たるや「平手」で一回なぐり、軽く一回「足げに」したのみであつて、暴行というには余りにも軽微である。しかも被害者たる荒木にしても亦中根にしても被告人の暴行につき処罰を希望していない。斯様に観ずればこれに対し実刑を科する要なきは勿論果して起訴に価するや否や疑問なきを得ない。(4) 被告人は前科もない。従来真面目に動いて来たものであつて、その職業については人の二、三倍努力して働く男である、鮮人仲間及近隣の人々にも評判のよい男である。又被告人は本件について起訴されるや否や直ちに不動産仲介業を廃し現在では遊戯場(パチンコ)を京都市内で経営し真面目に営業を続けているものであり再度斯様な不詳事を犯す虞は少しも存在しない。(5) 被告人は本件についての心労の故か本年四月頃より「脊髄カリエス」にかゝり目下病臥医療中であつて実刑に服するには肉体的にも無理である。
検察官の控訴趣意
原審は被告人に対する恐喝、暴行、自転車競技法違反事件につき自転車競技法違反の点に関し、「被告人は競輪必勝の会の経営者であるところ外数名と共謀の上自転車競走施行者でないのに昭和二十六年九月四日京都市中京区木屋町通三条下る競輪必勝の会に於て綾仁正一ほか二百七十二名より同日施行されていた京都市主催宝ケ池競輪の勝者投票券合計約七百八十八枚の購入依頼を受け夫々に依頼券一枚につき百十円替の金員を徴収しこれと引換に右綾仁正一ほか約二百七十二名の購入依頼者に対し夫々に同人等が勝者投票の的中者となつた場合競輪必勝の会に於て主催者が該競走の的中勝者投票購入者に払戻す金額と同一金額を払戻す会員申込書と題する証票合計三百二十九枚を交付し以て勝者投票券発売類似の行為をしたものである。」との公訴事実に対し「被告人は京都市中京区木屋町通三条下る場所に本店を、同市下京区松原通富小路東入る場所に支店を設けて競輪必勝の会という看板を掲げ勝者投票券購入の取次業を営んでいる者であるが昭和二十六年九月四日右本店に於て宮脇栄、浅田武一、山田兼松、古川与平治、平井義一から、又右支店に於て勝本利淳、奥村内一、綾仁正一から夫々同日施行されていた京都市施行の宝ケ池競輪の勝者投票券合計四十五枚の購入の依頼を受け各一枚につき百円及び手数料十円を受取り、各依頼者に対し合計約十八枚の会員証又は会員申込書と称する伝票を交付し的中したときは右伝票により払戻金を交付することを約しいわゆるメツセンジヤーをして右競輪場に於て指定通りの勝者投票券を購入していた」という事実を認定し被告人の行為は車券購入の取次行為であつて自転車競技法第十四条第一号の車券売買の類似に該当しないものとして無罪の言渡しをした。
然し乍ら原審判決は、(一)自転車競技法第十四条第一号の解釈を誤り、同法条を適用すべき本件に右法条を適用しなかつた誤をおかしており、(二)本件被告人の所為を単純なる勝者投票券購入の取次行為と判断したるのみならず綾仁正一ほか二百七十二名より勝者投票券七百八十八枚の購入依頼を受け各依頼者に三百二十九枚の会員申込書を交付したるものを宮脇栄外七名より勝者投票券合計四十五枚の購入依頼を受け各依頼者に合計約十八枚の会員証又は会員申込書と称する伝票を交付したと認定して事実を誤認しており、これらの誤りはいづれも判決に重大なる影響を及ぼすこと明白であるから破毀を免れないものと信ずる。
第一点法律違反
原判決が無罪とした理由は、自転車競技法第十四条第一号の「第七条の規定に違反して勝者投票券を発売したり又はこれと類似の行為をなした者」という「類似の行為」とは「投票券に類似するものを発売する」ことと解するか「発売」と同一概念若しくは同一趣旨のもの即ち発売の態様として考えられるもの例えば「売出」「売却」「配給」「有償配布」をいうと解するのが相当であるから本件勝者投票券購入の取次行為は業とすると否とに拘らず発売又は発売の一態様ではなく勝者投票券又はこれに類似のものを発売したものといえないとし更にいわゆる呑屋を取締る必要があるからといつても呑屋は他の規定で処罰すれば足り、証拠蒐集、捜査困難のため、本規定を拡張解釈することは許されず、刑法第百八十七条第二項に於ては明文を以て富籤発売の取次行為を禁止しているのであるから本法に於ても必要とするならば須く明文を掲ぐべきであり、本件公訴事実は自転車競技法第十四条第一項に該当しないし他の如何なる刑罰法規にも該当しないというのである。
然し乍ら自転車競技法並に同法施行規則の各規定を具に検討しその立法趣旨に徴すれば原審判決の見解は明に誤つているものと謂わねばならない。即ち自転車競走の本質は原判決の謂う如く施行者にとつては富籤発売、購入者にとつては賭博の公認であることは間違いなく公序良俗に反するから本来刑法第百八十七条第一項によつて一般的に禁止されているのを自転車の改良、増産、輸出の増加、国内需要等の充足に対する寄与と地方財政の増収を図るという戦後の疲弊した我国の経済、地方財政を救済する必要から已むを得ず昭和二十三年八月一日法律第二〇九号自転車競技法を制定公布して自転車競走を容認するようになつたものであるから同法はその目的が実現されるやうに規定を設けている。即ち競技の施行者は地方自治団体に限られ競技施行者が独占的に車券の発売をすることができ、それ以外の者が発売したり類似の行為をすることが禁示されているのである(第七条)。又競走施行者が競技を実施する場合において勝者投票券の売上金の配分や払戻金交付の割合等につき規定が設けられ(第九条第十条)又勝者投票券発売所あるいは払戻金交付所の設置並にその設置は原則として競技実施場所に限られ、実施場所以外に於て設置せんとする場合は予め届出をなし主務大臣の許可を得なければならぬこととする(同法施行規則第二条及び第六条)等極めて厳重な制限的規定が設けられているのである。
かかる法律の趣旨に鑑みるならば競技施行者以外の者が場外に於て店舗を設け広く一般人に広告して自転車競走の勝者投票券購入希望者を誘引し、その注文に応じて同券の額面金額の外、手数料名下に実費以上に上る百円券一枚につき十円の割合の金銭を収受し且的中したときは払戻金相当額を支払う証票として月、日、競走番号、連勝式番号、枚数等を記入した会員申込書なるものを交付し的中者に競走施行者が交付する金額を交付して利益をあげることを業として行うのは、自転車競技法が競走施行者に限り且競走の施行される場所即ち競輪場内においてのみ車券の発売や払戻金の交付を認めた趣旨に悖り延いては経済振興、地方財政の救済という自転車競技法の認められた目的を阻害するに至ることは明で著しく公序良俗に反する行為であり、かかる行為こそ同法第十四条第一号にいわゆる同法第七条の規定に違反して車券発売の類似行為をしたものとして取締らねばならないことは規定の趣旨に鑑み当然のことと謂はねばならない。(同趣旨判決昭和二十六年十二月六日(う)第二四四二号大阪高等裁判所)
更に原判決は、呑行為に移行しない単なる勝者投票券購入の取次行為は自転車競走が勝者投票券購入者にとつては賭博の公認である以上自転車競走を見物せずして勝者投票券を購入しこれを賭博の目的のみに利用しても特に咎立てすべきいわれはないし、呑屋を取締る必要があるとしても呑屋は呑屋として処罰すれば足り、その捜査困難を理由に本規定を拡張解釈することは許されないし刑法で富籤の発売取次行為を禁止しているやうな規定が自転車競技法にない以上車券発売の取次行為は処罰出来ないと解しているのであるが自転車競技法第十四条第一号は呑屋を対象としているのではなく前段でのべたやうな趣旨から所謂取次行為を処罰の対象としているのであることは疑を容れないところでありこの点に於ても法令の解釈を誤つており取次行為を禁止する明文規定がないから処罰し得ないとの見解は、自転車競技法制定の根本趣旨を忘れ法令の字句の末節に拘泥した解釈で到底是認出来ないところである。
第二点事実誤認
既に冒頭で摘記したやうに原審判決は「被告人が綾仁正一ほか二百七十二名から合計七百八十八枚の勝者投票券購入の依頼を受け夫々に依頼券一枚につき百十円替の金員を徴収しこれと引換に右綾仁正一ほか二百七十二名の購入依頼者に対し同人等が勝者的中者となつた場合競輪必勝の会に於て主催者が的中勝者投票券購入者に払戻すと同一金額を払戻す会員申込書と題する証票合計三百二十九枚を交付し以て勝者投票券発売類似の行為をした」との公訴事実をことさら「宮脇栄外七名の者から合計四十五枚の勝者投票券の購入依頼を受け各一枚につき百円及び手数料十円を受取り各依頼者に対し合計約十八枚の会員証又は会員申込書と称する伝票を交付し的中したときは右伝票により払戻金を交付することを約し、いわゆるメツセンジヤーをして右競輪場に於て指定通りの勝者投票券を購入していた」ものと認定したのであるが原審記録を精査し原審にあらわれた証拠を検討すると被告人の行為を単なる勝者投票券購入の取次行為と断ずる事が出来ないものといわねばならない。即ち岩田才次の昭和二十六年九月十二日附検察官に対する供述調書中「店には上島太一が居つて客から預つた車券の金は上島が握り客が当つた場合その払戻金は上島太一が支払つていた」旨の記載(記録二五八丁)、並に同人の司法警察員に対する第二回供述調書中「競輪必勝の会という会を作り会員を募集して会員証を渡して研究し其の場所で会員が各レースの当りと思うのを告げ会員の中の誰かがまとめて買いに行き手数料として百円につき十円の割で会が受取ることになつていた」旨の記載(二六五丁)岸孝次郎の司法警察員に対する第一回供述調書中「私の仕事の内容は競輪に関する電話の受付例えばお客さんが電話で申込まれる場合、又は競輪場よりの結果を知らせて来た場合等その外会員名簿の作成、庶務をしていました。そして私の他に事務員として永田親義、谷孝子、樫木久子の三名が居り会員の受付、通称車券の受付、配当金の支払等をしていました。西口さんは主として競輪場の方に居られ木村という人と二人か或いはもう一名の三人位でこちらから何レース何番何枚という風に電話をしそれに基いて競輪場窓口で車券を買つてゐられた様です」なる旨の記載(二七八丁)、更に「本日(九月四日)私方「競輪必勝の会」松原支部に於てお客さんより車券の購入を依頼され渡しました数は四百十四枚であり頼まれたレース並に連勝番号は別にレースごとに控えてあります。」旨の記載(二七九丁)、李こと木村富根の司法警察員に対する供述調書中「今日(九月四日)も向日町競輪の時と同じやうに附近の松井さん方本部で電話をまつて各レースの会員証の報告がある度に場内にいる岩田さんにメモした報告書を渡しレースの結果を亦本部へ報告してそのメモを岩田さんに返します」旨の記載(二九一丁)更に「各レース毎に本部へ連絡しては岸さんに連絡し岸さんが其後はやるので知りませんが勝者番号と払戻金を私に知らせて呉れますのでこれを本部へ連絡するのです、私はこの様に各レース毎に会本部へ連絡しているので岸さんが果して私が本部から連絡があつて受付いだ車券番号を買つているかどうか見て居りませんので知りません、私は昨日(九月四日)岸さんから一枚も車券を受取つて居りません、受取つたのは一レースから六レースまでの勝者番号及払戻金額を書いたメモだけであります」旨の記載(二九四丁)、永田親義の司法警察員に対する供述調書中「私の事務分担は事務所におりまして女事務員が客の求めにより車券の伝票を書いて渡し現金を受取りますので私はこれを更に受取り整理し現金の出納をしたり本部即ち三条木屋町への連絡をしたりしたのであります……本日(九月四日)は京都市営昭和二十六年度第九回が行われて居りますのでまだ確と勘定はしていませんが車券三百枚位の伝票を出しました」旨の記載(二九八、二九九丁)、折目清の司法警察員に対する供述調書中「私の仕事はお客さんが車券を買う時伝票を書いて渡すだけのもので一日の手当を三百円戴いて居ります」旨の記載(三〇二丁)、樫木久子の司法警察員に対する供述調書中「私は本日(九月四日)は車券売りの手伝いをして居りました。岩田才次は本年八月十二、三日頃から松原富小路西入上島住宅支店の表の間一部を使つて競輪必勝の会々員申込所と言う紙札を表入口に貼つて競輪車券を売つて居ります」旨の記載(三〇五丁)、座光寺重夫の司法警察員に対する供述調書中「私の仕事の内容は競輪実施当日午前九時頃出勤し初めて車券を買いに来る方に会員券を交付し「レース番号と選手番号」を聞き代金を受取り車券購入伝票に氏名とレース番号及選手番号及枚数を書取り其の写しを会員に渡す事務で受取つた代金は直ぐ会計係の丸山さんに手渡します」旨の記載(三一〇丁)並に領置に係る証第五号会員申込書控簿九冊、司法巡査麻田吉雄、同野田勇撮影の現場写真、司法警察員稲田房治、同植田武美両名作成の昭和二十六年九月四日附捜査報告書並に同書添付の写真を綜合して考察すれば、被告人は昭和二十六年八月頃から京都市中京区木屋町三条下るの自宅を本店とし同市下京区松原通富小路東入に支店を設け競輪必勝の会なる名称の下に店先に競輪ポスター等を貼り出し、岩田才次、岸孝次郎、岸民五郎、木村富根、永田親義、折目清、樫木久子、座光寺重夫等を使用して、業として一般に広告して自転車競走の勝者投票券購入希望者を誘引しその注文に応じて同券の額面金額の外手数料名下に実費以上の百円券一枚につき十円の割合の金銭を収受し且つ的中したときは払戻金相当額を支払う証票として、競走番号、連勝式番号、枚数等を記載した会員申込書を交付するという方法で利を図り同年九月四日施行された京都市主催宝ケ池競輪の際は、綾仁正一外二百七十二名から勝者投票券七百八十八枚の購入依頼をうけ前記割合による金銭を徴収し同人等に対し会員申込書三百二十九枚を交付して同様業務を営んでいた事が認められる、而も前記各証拠によれば被告人が投票券購入希望者の注文により購入の取次をする場合、会員申込書を交付する事務を担当する者が競走施行場に於て競技主催者から勝者投票券を購入する事務を担当する者に対し公衆電話で連絡し注文者の希望する投票券の購入方を取次ぎ購入担当者が勝者投票券を購入したり、勝者的中者に交付される払戻金を受領することが窺われるが、毎日数百人に上る購入希望者の多種に亘る注文を連絡しその指示通り取次をしたり、不特定多数者の利用に供せられる公衆電話を被告人の専属的事務のために利用したりすることは実際上殆んど不能に属することは経験法則上極めて明らかであるのみならず購入を担当していたと思われる者に於て、購入希望者の注文通り購入取次をしたと認められる証拠がないのに拘らず判示の如き取次行為を認定したことは十分審理をつくさず誤つて事実を認定した違法があるといわねばならない。又被告人の検察官に対する昭和二十六年九月十四日附供述調書第四項「一日千枚、多い時は千五百枚位の申込を受けていました」旨の記載(記録四三二丁)、第十回公判調書及び主任弁護人の供述として「本件の証票発行数については争わない」旨の記載(記録三八七丁裏)、証第五号(検乙第二号)会員申込書控簿九冊の内容を検討すれば充分公訴事実の如く勝者投票券購入依頼者が二百七十二名で依頼を受けた枚数は七百八十八枚であり、依頼者に発行した会員申込書が三百二十九枚であることが認められるのに拘わらず、ことさら右事実を認定せず、宮脇栄、浅田武一、山田兼松、古川与平治、平井義一、勝本利淳、奥村内一、綾仁正一の各供述調書のみにより右各人より合計四十五枚の購入依頼を受け、十八枚の会員証、会員申込書を交付したと認定したのは明らかに事実誤認と言わねばならない。